2011年4月4日月曜日

気仙沼へ


先週、自分の職能関係で気仙沼へヘルプに入った。
津波で市街地が壊滅状態と聞いていたし、
東北自動車道を走っていても、
福島県ぐらいから路面が
歪んでいる場所が有ったりで、
「これはアクセス道路も大変なことになっているかも」
と思っていた。
ところが、一関から国道284号を利用して気仙沼へ向かったのだが、
思いの外、被害が目立たない。
所々で道路の一部が陥没していたり、家の壁が崩れたり、
車のショールームのガラスが割れていたり。
そのくらいは見かけたが、潰れている家などは見かけなかった。

気仙沼での宿泊地も高台の新興住宅地で、
ヘルプに入った場所も高台。
着いてからは業務をこなすのにかかりきりだったのと、
宿泊先に迷惑をかけるわけには行かなかったので、
宿泊地と業務を行った場所との往復しかせず、
帰途に着くまでに目に触れたのは、
グラウンドに集められた大量の瓦礫と、
体育館に身を寄せていた避難者と自衛隊ぐらい。

もちろん宿泊でお世話になった方々から色々とお話を伺ったりしたが、
余りピンと来ないまま業務終了となった。
帰路は、宿泊先でお世話になった方から、
「是非海岸沿いを通って見ていって」
と言われ、
国道45号を本吉まで出てそこから内陸に走って帰ることになった。
その後見た光景は、そのままテレビで見た光景。
津波で流されて瓦礫と化した住宅地と、
その隣には、ほんの数メートル高台に有ったおかげで難を逃れた建物が。
実際に現地に入ったのが、震災から3週間が経とうとしていた頃であり、
津波の被害を受けなかった地区では既に経済活動が始まっていた。
もちろん、家を失った人たちはたくさんいて、
復興をどう進めていくのか検討もつかないが、
そうした中でも、前に進んでいく意思を感じることはできた。

今回の震災で特に困ったと聞いたのは、通信インフラの断絶。
自分が訪れたときにはまだ固定電話は回復していなかった。
地震の直後はドコモの回線だけが生き残っていたが、
基地局のバッテリーがダウンし使えなくなり、
その後は au がまず復旧し、
その後ドコモと au は通信圏の拡大競争をするかのように復旧。
しかし、ソフトバンクは2週間たっても全く復旧せず。
なんとか三週目に入ってから一部復旧。
自分より先に現地に入っていた人たちの中のソフトバンクユーザーの中には、
情報の収集ができない可能性があると、
慌ててドコモや au と契約した方もいた。
現在では情報収集しないと業務を遂行できないこともままある。
自分は iphone を使用しているので、
日本では必然的にソフトバンクユーザーとなる。
都内に住んでいるので、普段は特に問題になるようなことは少ないが、
地方に行くと全く使いものにならない場所があるのでかなり困り物。
岩手県の盛岡から宮古へ向かう道のバスに乗ったときは、
ほとんどの区間で圏外だったし、
沖縄の与那国島では、場所によっては台湾の携帯会社につながる始末。
あ、文句になってきた。方向修正。

高度情報化社会とは言われるものの、今回の震災で確認されたのは、
通信が途絶えると情報は伝わらないということ。
情報が伝わらなければ危険回避もままならないということ。
そして、伝えられた情報は鵜呑みにしないこと。特にショッキングな内容は。
情報は発信された瞬間から古くなっていくもの。常に状況は変化している。

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